カオスなまちでは 仮設が合理的である
ベトナムの経済的中心地・ホーチミンは、”東洋のパリ”と呼ばれたサイゴン時代の街並みが残っている一方で、経済成長によって高層ビルが立ち並ぶなど、新旧のエリアがダイナミックに入り混じっているがゆえの熱量があるという。まずは、このまちを知る3人に「ホーチミンらしさを感じる場所」を聞いてみた。
まるでゴーストタウン! 開発がストップした新都心
杉本:山田さんと仁科さんはホーチミン在住。下寺さんは2年前にリサーチに訪れたそうですね。まちのなかで、特にホーチミンらしさを感じる場所や状況を教えてください。
仁科:ひとつは、ホーチミン市2区(トゥーティエン地区)とその状況ですね。2000年前後から国を挙げての開発が進められていて、いずれは2区を現在の中心である1区に並ぶ新都心にと計画しているんです。ところが、2年くらい工事がストップしているところもあって。ちょっと写真で見てもらいましょう。
ほぼ完成しているように見えるのだが……
工事が中断してほったらかしに……。草がぼうぼうに茂っている。
誰もいないビル群はまるでゴーストタウンのよう。
杉本:あれ?完成しているのかと思いきや、誰もいないですね。草ぼうぼうの空き地のギャップもすごい。なんでまたこんなことに?
仁科:ホーチミンの急激な経済成長によって物価も人件費も高騰したので、当初予定していた予算をはるかに超えてしまって。今は、資金が集まるまで工事を止めているようです。遠くから見るときらびやかで華やかな都市に見えるのに、なかにはゴーストタウンみたいなところもあるんですよ。
山田:ホーチミン2区には、躯体まで仮に建ててストップしている物件がそこらじゅうにあります。
杉本:2区の状態について、まちの人たちはどう思っているんですか?
仁科:2区の新都心に住むのはお金持ちだし、多くの人は「自分たちには関係ない」と思っているようです。また、ベトナムは社会主義国なので「政府のすることは絶対」というところがあります。実際に、1996年にトゥーティエン地区の開発が決まった時、1万5000人の住民が強制的な立ち退きに遭ったそうです。
杉本:そうした社会矛盾を飲み込んでいくほどに、経済成長のパワーが強いのもホーチミンの現状なのかもしれないですね。
土地を持たないことが“解決策”になる
下寺:同時に、ベトナムの人たちもまた、日本人に比べるとすごくパワフルで大らかという印象も強いですね。あまり気にしない、というか。
杉本:その性質は仮設性を受け入れるうえで大切な感性かもしれませんね。
山田:そうそう。大らかさは必要でしょうね。日本は法規が厳しくて店の外には一席も出せなかったけれど、ホーチミンで一番有名な観光地・ブイビエン通りでは、店舗にはキッチンさえあれば目の前の通りを全部客席にしてしまうんです。
客数に合わせて席が増やされ、もはや道路なのか店なのかわからない状況に。
だんだん、店、歩道、車道の境目すらはっきりしなくなる。まさにカオスだ。
杉本:これもまた壮観ですね……。これは道路というか広場というか。路上の概念が変わりそうです。
山田:ベトナムは今、平均給与に対して物件や地価が高騰しています。しかも、投資して大きな空間を準備したところで、2区のように政府に土地を取り上げられるリスクがある。だったら、何が起きても大丈夫なように、土地を所有せずに仮設的な場所を構えるほうがいいという考え方がこの文化を生んでいるのだと思います。路上に席を出したり、屋台を引っ張ってきたりすることは、今のホーチミンにおいては合理的な解決策だと言えます。
杉本:なるほど。一見カオスな状況に見えるけれど、よくよく観察していくと合理性があるんですね。
仁科:そうそう。面白いのは一件カオスに見えることでも、なかに飛び込んでみると秩序が見えてくるんですよ。たとえば、最初はバイクの群れもカオスに見えて、ガチガチに緊張して運転していましたが、流れ通りに走ればそんなに難しくないんです。
若者をチャレンジさせる 都市の流動性
カオスのなかにある秩序と合理性ー。ホーチミンのまちを読み解くキーワードを手がかりに、もう少しまちの様子を案内してもらうことにしよう。今度は若者たちにフォーカス。彼らはどんな場所に集い、どんな風に暮らしているのだろう?
流動的だからこそ個性が出る 「42 Nguyen Hue」
杉本:今、ホーチミンの若者たちの間で人気があるのはどんな場所ですか?
仁科:ホーチミンの繁華街、グエン・フエ通りに「42 Nguyen Hue」という、正方形の窓がグリッド状に並んでいる7〜8階建の古いアパートがあります。中に入ると、いろんなお店が次から次に現れてくるし、外から見るとネオンサインで飾られた窓がパッチワークみたいで非常に面白い。
一つひとつの窓の主張が強い!一見してどこに何のお店があるかわかる
ビルの前はグエン・フエ通りという大通り。ほとんど公園のようだ
グエン・フエ通りは歩行者天国のようになっていて、路上でくつろぐ人も現れるらしい
杉本:ここにはどんなお店が入っているんですか?
仁科:若い人たちのカフェやファッションのお店です。ただ、やっぱり地価が高いからどんどん入れ替わっていくし、そのたびにファサードが変化するのがわかるのも面白いんですよね。テナントの側もすぐ撤退できるように簡単な装飾しかしません。
下寺:都市開発によって都市の個性が失われていくのはとても残念だなと思っていて。ホーチミンでも新しいビルがどんどん建っているけれど、42 Nguyen Hueはすごく流動的な場所だからこそ個性が感じられるのかなと思います。そこがベトナムらしいですね。
山田:たしかに。誰も統一しようとしないし、一つひとつのテナントが目立とうとするおかげで、洗練された感じにならないんですよね。僕もそこがいいと思っています。
杉本:いわゆるジェントリフィケーションの流れがあるなかで、新都心として計画された2区が開発途中で放置される現象にも見られるように、どうしても滲み出す国民性みたいなものがあるのかもしれませんね。
仁科:そうですね。もうひとつ、若者向けのファッションブランドが集まる地下街「The New Playground」というところがあるのですが、ここもテナントの入れ替わりが非常に激しくて。やはり、撤退することを気にせず仮設的にやっているのだと思います。
若者のデートスポットは「亀の池公園」!?
杉本:そういえば、ホーチミンの若者はどういうところでデートしているんですか?
山田:まちの超ど真ん中に「タートルレイク」と呼ばれる、亀の池公園があるんですよ。夕方になると周辺にたくさん屋台が出て、カップルが死ぬほどたくさん集まるんです。信じられないくらいの人数が。昼間でもたくさん集まっているけど、夜になると建物のヘリにまで座りはじめます。みんなデートする場所がないんだなぁと思いました。
仁科:写真を見てもらえばわかると思いますが、ロマンチックさは全然ないです。
池の周辺にわらわらと集まってくるカップルたち。
池の中央の建物のへりにはほとんど密集!たしかにロマンチックさはないかも?
杉本:うわー!すごい密集していますねえ……。
山田:もともと路上で飲食する文化があるから、外に座るのにほぼ抵抗がないし、外でデートするのが当たり前なんだと思います。家も狭くて自分の個室がなかったりするといちゃつく場所もないですし。
杉本:下寺さん、これは京都でいう鴨川べりのカップルに似た現象でしょうか?
下寺:やっぱり、カップルといえば川、水辺がいいんでしょうねえ。外でくつろぐっていいですね!僕も外に座ってデートとかしたい。
山田:ほんとですよねえ!
仁科:ところが本当の川沿いにはカップルはいないんです。川沿いには、おじちゃん、おばちゃんが多くて、釣りとか運動をしているイメージが強いです。
杉本:同じ水辺でも、川はなんだか健康的なんですね……!
ホーチミンの仮設性の 背景を深掘りする
神出鬼没に路上に現れる屋台は、アジアの国々に共通する文化だ。ひと昔前までは、日本にだって、会社員のお父さんが帰り道で一杯ひっかけるおでんの屋台、あるいは寒い冬に身を寄せる夜鳴きそばの屋台が日常にあった。なぜ、ホーチミンの屋台文化はこんなにも元気で、持続可能性を保っているのか?屋台のインフラにも目を向けてみよう。
ホーチミンの路上文化に学ぶべきこと
杉本:新型コロナウイルスの感染拡大以降、換気のためにドアを開けて営業するお店が増えましたし、路上での営業に関する法律も変わるようです。ホーチミンの路上に日本が学ぶべきことはあるでしょうか。
山田:あると思いますよ。たとえば、ホーチミンの路上で使われる椅子や机って軽量かつ低いんですよ。出し入れが楽だし、壊れても買い替えやすい。警察が来た時に一瞬で片付けられることも関係しているとのことです。
路上に出す椅子や机は折りたたみで片付けやすいものが選ばれている
杉本:ただ、日本の場合は、お店の前の歩道が狭かったり、すぐに車道だったりするという難点もありそうです。
山田:たしかに、日本はお店、歩道、車道とはっきりと分かれていますよね。でも、写真で見るとわかるように、ホーチミンではみんなが道路に面して座るので、そのまま交流がはじまったりするという魅力もあります。そこは、日本の路上で何かやるときのヒントになるかなとは思いますね。
下寺:ベトナムには、ある程度の枠組みを作ったら、あとはそれぞれがカスタマイズしていく余白が残されているという印象があります。
山田:それもありますね。建築をつくるとき、日本だと図面通りのものをかちっとつくろうとしますが、ベトナムでは施工現場にプロの職人が少なくてなかなか図面通りのものはできない。だから、まずは作りながら状況に合わせて手を入れていくことが多いです。それはそれで、最初に図面を詳細に書く必要がなかったり、施工を走らせながら考えられたりするというメリットがありますね。そもそもベトナムでは、建築は恒久的に残るものというよりは、いずれ壊されうるものという印象が強いです。
ヴォチョン・ギア・アーキテクツのバンブーアーキテクチャーの初期作品「Wind and Water Cafe」
巨大な竹のフレームを人力で運び、手作業で合わせながら施工するという
仮設的につくられたが、修理を繰り返して10年以上存続している(もはや常設!)
仮設的に生きられるにはワケがある
下寺:実は、屋台もユーザーがカスタマイズできる余白が大きいんです。ホーチミンでは5区に屋台を製作・販売する工場が集中していて。屋台営業をはじめたい人は、ここで自分の屋台を買ってカスタマイズしていくんですね。一方で、屋台のメンテナンスをする工場は各エリアにたくさんあります。
ここでは屋台を製造しているようです<下寺さん撮影>
中古の屋台を買取している瞬間に遭遇<下寺さん撮影>
実際に屋台を製造・販売している工場で調査(下寺さんスケッチ)
杉本:なるほど。屋台文化を支えるインフラがちゃんと整っているのですね。
下寺:はい。日本では場所をもって商売するのが普通という感覚ですが、東南アジアでは、ソフト面でもハード面でもすごく簡単に商売を始められるインフラがある。それこそ、ナイトマーケットでは誰でも商売できるじゃないかと思うんです。
山田:土地をもたないで仮設的に生きるという、さきほどから議論に上がっている話にもすごくフィットしますね。気軽に商売をはじめられることも、人々を楽観的にさせているかもしれません。
下寺:あと、タイや台湾に関しては、自宅にキッチンがあるのは富裕層だけで、基本は屋台でテイクアウトするか、外で食べるのが普通みたいです。ベトナムはどうでしょうか?
仁科:一度、ベトナム人の知人の実家に遊びに行ったら、玄関の靴箱の上にホットプレートを置いて調理していました。外に七輪のようなものを置いて調理している人もいますね。
山田:ベトナムの建物は平面的に見ると細長いので、家の奥に配置すると換気ができないからかもしれません。
杉本:屋台や外食を必要とする食文化のあり方が、飲食業のニーズを高めているんですね。そして、商売をはじめる参入障壁が低いからチャレンジしやすく、撤退のリスクも高くないから失敗を恐れなくてすむという背景が、仮設性の高いまちの生態系を生んでいるのかなと思います。
仮設は次の時代の スタンダードに!?
路上にあふれる店空間も、屋台が並ぶマーケットも、あるいはビルのテナントも、建物さえも軽やかに現れては消えていく。こんなにも仮設性の高いまちに触れていたら、自分の人生観や生き方も影響を受けそうだ。最後に、3人はどんな風にホーチミンの仮設性を受け止めてきたのかを聞いてみよう。
仮設という概念はもっと進化させられる
杉本:お話を聞いていると、日本とベトナムでは人々のあり方も、まちの変化のスピードやダイナミズムも全然違うんだなと思います。ベトナムに触れるなかで、自分自身に対する影響もあると思いますか?
取材は京都とホーチミンをzoomでつないでオンラインで行われました
山田:ベトナムで仕事をしていると失敗するのは当たり前で、そこからどうするのか?という価値観なんです。どんなに準備を整えても、状況がスピーディに変わっていって、最初に正解だと思っていたことが正解ではなくなることも多々あるので。僕自身も、失敗に対する抵抗みたいなものはほぼなくなりましたね。
下寺:これからの都市計画では、新しい建物をつくるよりも、空いている建物をいかに柔軟に使うか?がとても大事になると思っています。仮設的に建物を利用したり、屋台を持ち込んだりするやり方にはすごく可能性を感じています。
仁科:仮設性というコンセプトは、もっと進化させられると思っています。たとえば、僕の知人に、コンテナを組み合わせて家にすることを計画している人がいますが、コンテナは仮設性が高いから移動もできるんですね。震災があれば被災地に運べるし、落ち着いたら別なところに動かせばいい。
感染の不安から大都市に人が集まることに対する抵抗が生まれている今、移動しながら暮らすことにニーズが高まることも考えられます。進化するなかで仮設の概念も変わって行って、10年後の屋台はもっとすごいことになっているかもしれない。
仮設資材を駆使した「Pizza 4P’s Xuan Thuy」
発想を転換すれば、仮設性の高いものを用いて居心地のよい空間をつくることができる
山田:今回の新型コロナウイルスの一件で、今後もこういうことがどんどん起きそうだという認識が共有されたと思います。状況が変化していくなら「どこに住めばよいか?」ということに正解がなくなりますし、仮設的に住むことがスタンダードになる可能性も考えられますよね。
下寺:屋台は動く建築だと思っています。屋台が大きくなると住居にもなりうるし、どこでも生活できるような時代に対応しやすいのかも。また、仮設的な住居や建物であれば、カスタマイズできる部分が大きくなって、個性が出やすくなると思います。そうなると、都市の風景ももっと流動的に変わっていくのかなと思います。
杉本:人生そのものにも仮設性を取り込んでいけたら、ものの見方が変化して面白く生きられそうです。いつか、ホーチミンにも旅したいと思います。みなさん、ありがとうございました!
『POP UP SOCIETY』とは
『POP UP SOCIETY』は、一般の方に業界への興味を持ってもらい、中長期的に建設仮設業界の若手人材不足に貢献することを目指し、ASNOVAが2020年3月から2022年3月まで運営してきた不定期発行のマガジンです。
仮設(カセツ)という切り口で、国内外のユニークで実験的な取組みを、人物・企業へのインタビュー、体験レポートなどを通じて紹介します。